-3.変わっていく世界の中で ミキがハンナと共に平謝りし、男が溜め息混じりに許すことでその場は収まった。ただしゲリーについては容赦無く「決して許しはしない」眉間に深いシワを刻み、彼は虚空を睨みつける。ミキは親友の危機を感じたものの同情の余地は無いので敢えてフォローはしない。 「あ」 ミキが声を小さく声を漏らすと男が訝しげに「どうした」と声をかけた。ミキは暫し戸惑いつつも 「ゲリーをご存じなんですか」 そう問うた。 日が頂点からゆるゆると下り始める頃、二人の男が木陰で茶をすすっていた。草の上に広げられた敷物には焼き菓子の乗せられた皿が置いてある。その隣にある氷を詰めたポットの中にチョコレートも入れてあったのだが、だいぶ前にミキ・マタ=オリの小さな友人が全て平らげてしまった。お腹が一杯になった彼女はミキにもたれかかり、目下熟睡中である。 「商品はいつ頃お渡ししましょうか?今から戻って取ってきた方が?」 ミキは眠る少女―ハンナ・ヘドリック―の頭を優しく撫でながら、眼前の線の細い男に問うた。 「いや、急がなくて構わない」 問われた眉目秀麗な男、クライヴェルグ・エイジェルステットは濃紫の髪を揺らし首を振る。 「あ、えっと、ではいつ頃何処へお持ちしましょう」 「ん……」 寮へ届けて貰おうか、それともあの糸目をこき使ってやろうかとクライヴは暫し考え、やがて 「後日取りに来たいのだが」 そう言った。 ミキは首をかしげる。 「わざわざいらっしゃらなくてもお届けしますよ」 人混みは苦手ではあるが仕事とあらば配達くらい何と言うことはない。それに何処にでも裏道というものは存在し、ある程度までは混み合う街中を避けて歩けるのだ。 だがクライヴは再度首を振り 「いや、君に会いたい」 「……え」 「迷惑にな「くぅくん、ホモだったんだぁあああああ!!!!」うるさい黙れ糸目ぇえええ!!!!」 突然現れた糸目――こと、ジェラルド・グレン。ミキを後ろに守るようにして二人の間に割り込む。その表情は恐怖のせいか、少し強張っていた。 「やめて!!うちのみーくんに触らないでください!!!どんとたっち!のーせんきゅー!!」 「変な誤解をするな!何処から生えた貴様!!」 「生えません!おれは至って普通の哺乳類です!!女の子の曲線が大好きな健常な男子です!」 「色情狂が!!」 「男好きが!!」 「……っ!」 「っ……!」 じわじわと汗ばむ日の下で二人の男が睨み合う。互いに隙を狙い一撃くれてやろうとしているのだろう、仕切りに周囲に視線を巡らせている。その緊迫する二人の後ろでミキはどうしたら良いものかと考えて、その時 ぐぅ ミキの前にいるゲリーの腹が申し訳なさそうに鳴いた。 「てへっ☆」 剣呑な雰囲気を壊し、ゲリーはへらりと笑う。やだわ、恥ずかしいわと言いつつ、口許に手を当てキョロキョロと視線を巡らせ 「ねーえ、みぃくゥん、おなかすいたァ。まだ残ってますぅ?」 「う、うん、あるけど」 何事もなかったかのようにミキの隣に座しバスケットを漁る。保冷剤を入れた容器に詰め込んだサンドウィッチはまだ新鮮なままだ。ゲリーは目当ての物を見つけるといそいそと食事を開始する。 「……はぁ」 一人怒りの行き場をなくしたクライヴは溜め息を付き、髪をかきあげる。ミキが幼馴染みの暴挙に頭を下げるとクライヴは苦笑し肩をすくめてみせた。 「お茶もいる?」 忙しなく口を動かすゲリーにミキは問う。 「ありがとう、頂きます」 咀嚼しながら答えたゲリーはギルド帽を脱ぎながら答える。それに見たクライヴが目を細めた。 「またサボりか、ジェラルド・グレン」 「失礼ですね、今日は無理矢理引っ張り出されただけです。担当地域にネズミが大量に出てきたらしくてね」 担当部隊の数人を連れて獲ってきたと言い、ミキから受け取った茶を一気に煽った。 「……最近どうにも騒がしいな」 「そうですね。くぅくん、確か討ち損ねたオオカミが、あ、おかわりお願いします」 空になったカップをミキに渡しゲリーは息を吐く。 「討ち損ねたオオカミがいましたよね?担当にくぅくんもいたと思うんですが」 「いたよ、確かに逃がしてしまった。つがいのオオカミのメスの方だ」 「そいつが最近ここらにいるんじゃないかと推測しますがね。――あ、ありがとうございます、みーくん」 サンドウィッチの最後の一切れを掴み、ゲリーはミキから茶を注がれたカップを受け取った。ミキは、どういたしましてと一つ頷き、自分のカップとクライヴのカップにも茶を注ぐ。 「報告書には致命傷を与えるには至らず逃亡を許した、とありました。彼らも意思のある生き物ですからね、怨恨を持って我々を屠る機会を待ってるんじゃないですか」 「それはオレも考えた。……しかし、あくまでも致命傷には至っていないだけだ。あれだけの傷を負って尚長く生きられるとは思わない」 答えたクライヴの表情は暗い。討伐のために出撃したのは複数の隊で、クライヴも大尉としてひとつの部隊を率いていた。総合指揮官は彼ではなかったが前線で動いていた彼は討ち逃したことを非常に苦々しく思っていた。 「だが、その件については先手を打っている。荒野の狩猟民族については知っているか」 「――……あの人達に頼んだんですか」 ゲリーは眉をひそめる。 荒廃した原野に住む者は少ないものの確かに彼らは存在し、またその中には長く荒れ野に住み独自の社会を作り出した者達もある。平和を好み自由を謳歌する遊牧民が殆どではあるが、その中には戦いを生きる常としオオカミを始めとする獰猛な獣を狩り、その身や毛皮をもって日々を生きる糧となす狩猟の民も少なからずいる。 ギルドは定期的にそういった狩猟を得意とする者達にオオカミ討伐を依頼している。それは国の平穏を守るための一柱であるが、ギルドに所属するゲリーは彼等の、考えの読めぬ目や他を排すような雰囲気から狩猟の民を嫌っていた。笑みの中の皮肉、優しさの中の嫌悪、規律の矛盾、正しい悪意。平穏を守る悪意。 この国において彼らはそういった相容れない物のようにゲリーの目には映っていたのだ。 不機嫌そうなゲリーを見ながらクライヴは言う。 「餅は餅屋に任せた方がいい。慣れぬ我々が臼を押さえ杵を振り回したとて上手く行くとは思えない」 「――プライドはないんですか」 「国民の為だと思えば自尊心など捨てられる。……そう毛嫌いするな、我々の役目は討伐より守護だろう。オオカミにかまけて己の国を疎かにする訳にはいかない」 「……あの人達不気味だから苦手ですよ」 苦々しく吐き出す同僚に「それには同意するが」頷くクライヴ。 「我々に危害を与える訳ではない。むしろ助かっているのだから丁重にもてなせ」 言って、ミキによってたっぷりと注がれた二杯目の茶を一口飲む。ほどよい香ばしさが鼻腔を満たし、よく冷えた茶が喉奥をするりと流れていった。 「なんか面倒な事になりそうですよねぇ」 足を投げ出しゲリーは嘆息した。そしてブーツを足だけで器用に脱ぎ、足をばたつかせる。 「いつもご苦労様です、ゲリー」 脱ぎ散らかされた靴を並べミキが笑う。彼の足の上には編み掛けのシロツメクサの花冠が置かれている。おそらく二人の会話に退屈しての凌ぎの術なのだろう。 「やー、みーくんもいつも薬をありがとうございます。あ、そだ、くぅくんも薬要りません?みーくんとこの薬はすごいんですよ」 「知っている、先程注文した」 「ありゃ、そうなんですか?」 「効果を確かめさせて貰ったんだ。ほら」 クライヴは薬の小瓶をポケットから取りだし、同時に薄く傷つけた指を見せた。傷を覆う被膜は今や厚い膜を作っており布のような肌触りになっている。 「じゃー、これからはあんな無茶見なくて住むんですね。あれ、見てて気持ち悪いんです」 それを見やりゲリーは言う。クライヴは顔をしかめた。 「うるさい、あの方法が一番手っ取り早いんだ。あとから治癒魔法をかければ跡も残らない」 見てみろと、袖をまくり腕を見せる。薄く筋肉の見える細い腕には白い。 「……綺麗ですね?」 花冠を編みながらミキは首をかしげる。隣にいたゲリーは小さく吹き出し笑った。クライヴは「あー」しばし考え 「戦いで出来た傷は火で焼いて止血していたんだ。大きな傷には向かないが、ある程度まではこれで止血と消毒が出来る。血の臭いを嗅ぎ付けてくる奴等がいるものでね」 袖を下ろす。ミキは眉を寄せ「い、痛そう……」呟く。 「もうね、肉が焦げる臭いがして近くにいるおれ達としては気分悪いわけですよ。毎回馬鹿なんじゃないかと心底思ってました」 「そんなに嫌ならば、お前が治癒を覚えれば良かっただろう」 「光の属性が治癒使ったらピカピカ光って相手に見つかりますよ」 「なるほど、何処までも使えない男だな」 「あっ、ひどい!!ねー、みーくゥん、いつもこうやって大尉がいじめるんですよぉぅ」 わざとらしく目を擦り、ゲリーはミキの背に隠れクライヴを指差す。ミキは「仲良しさんだね」と出来上がったばかりの花冠を眠るハンナに被せてやりながら笑った。 否定せんとクライヴが口を開いた時、ミキが「ねぇ」首をかくんと傾げて。 「二人は魔法を使えるんですか?」 二つ目の冠を編みながら問うた。 「んん、言ってませんでしたか?おれ、一応は光術を使えますよ。ほら、こんなの」 「……オレは火を扱える」 ゲリーは指先に光の粒子を纏わせミキの前に振らせ、クライヴは掌の上で火を踊らせた。「わっ、わっ、すごい!!」ミキは幼子のようにはしゃぎ、満面の笑みで食い入るように見つめる。ぱちぱちと小さく拍手までするものだから、魔法を見せた二人のギルド員は目を合わせた。 「……もしかして君は魔法を使えないのか」 クライヴが舞う火を消しながら言えばミキは申し訳なさそうに頷く。「習ったことはあるんです」苦笑を浮かべたミキは大きな体を縮めた。 「でも全然何も出来なくて」 「んー、みーくんだったら属性は地かな。地だったら少し難しいですし」 手を握り込んで粒子を消した光術師が首をかしげながら言い 「水じゃないか?」 幼馴染みの少女の水魔法を思い浮かべながら炎術師が言う。 魔法、魔術というものには体系、流派、または思想によって異なるものの概ね個人の性格によって宿す属性が決まる。表面に発現している性格ではなく本質に作用される為、見て分かるという安易なものではないのだが、ミキの場合は今の状態が本質であるだろうと考え、二人はおおよその目測をつけたのである。 時に音、空、色といった変わり種もあるが一般的には火、水、風などといった自然界に属したものを身に宿すことが多い。その為二人の術師は穏和な彼を、揺らぐことのない静穏の象徴たる地、全てのものを包み育む慈愛の象徴たる水と考えた。 だがミキは首を横に振る。 「き……って言ってた」 「きって、ここに生えてる奴ですか?」 「うん、木、植物だって」 「それは、また……」 「さほど不思議なものではありませんけど、うーん……」 静穏の大地に根を張り、慈愛の雨を湛える木だとミキは言う。あながち二人の目測は間違ってはいなかったが、二人とも困惑の表情を浮かべた。 「樹の術師というのは少ないんです。っていうのは戦闘にも日常的にも使い道があまり無いからなんですが」 ゲリー曰く草花を急速に成長させる事が主だという。 「適性にも依るが操作、召喚も可能だ。文献によれば全ての世界を貫き存在する大樹、つまりをユグドラシルに干渉することで世界を揺り動かす事も可能らしい。だが過去の創作である可能性も低くない。いわゆる神話のようなものだからな」 クライヴの言葉を受け、ゲリーは言う。 「ようするにね、皆が使わないから、その属性についてはよくわからないんです。文献にはいくつか残ってはいるんですが、今は樹の術師で名の知れてる人はいないので……」 「師事はできない?」 「そうですね、でも純粋な力の放出の仕方くらいならおれでも教えられますし」 「あ、いいよ、大丈夫。使い道無いし」 「あったらあったで不便はないと思うが……」 「あ、えと、ありがとうございます、でも今のままでも問題無いですから」 ミキは微笑み首を振る。 ゲリーのいう放出の仕方はミキも知っているのだ。兄に何度も習って方法は熟知しているし毎日のように練習もしている。しかし力が発現しない。何かを掴めた感覚があるのだが何も起こらない。 ミキが一番最初に魔法を教わった年経た魔女曰く、ミキには魔法に使用するのに溜めておく力が極僅かしかないという。それは体質的なものであるらしいが、日々の鍛練で強化は可能とも彼女は言い、まだ小さかった彼の頭を撫でた。 以来、努力家の薬屋は調剤の勉強の合間に魔法の訓練を繰り返しているのだが、今のところ全く進歩がない。それゆえ決定的に才能がないのだろうと半ば諦めている彼であるから、二人の優しさは少々心苦しいものがあった。 「まおー……」 三人の男が話す中、鈴が鳴るうよな愛くるしい声がした。ミキにもたれかかっていたハンナが目を覚ましたのだ。 「起こしちゃった?ごめんね」 ミキがいうとハンナは目をこすりながら首を振る。 「おうち……かえんなきゃ」 「おうち?」 「パパ、よんでる」 背伸びをしながら少女は言う。ミキは首をかしげながらも、乱れた彼女の髪を手ですいてやった。 「ハンナの魔法ですよ」 不思議に思っていたミキの隣でゲリーが言う。 「彼女の属性は闇。害為す物であり安らぎを与える物でもある闇は個人によって全く能力が違うんですけどね。ハンナの力は相手が影の中であれば自分を呼ぶ声が聞こえるといったものです」 「じゃあ今のハンナが言ったのは本当?」 「さあ?寝惚けてる可能性は無きにしもあらずですね。俺もよく美少女に呼ばれた気がして目が覚めますし」 後半のどうでもいい事は聞き流し、ミキはハンナを見やる。当の彼女はミキが作った花冠を乗せたままぼんやりとしていた。このまま一人返すのは心配であるし、小さな彼女の足では帰るのに時間が掛かりすぎる。 「あの、俺……」 「あぁ、分かっている」 その子を送ってやってくれ。そう言ってクライヴは頷く。ミキは軽くお辞儀をすると、広げた食器を片付け始めた。気付いたゲリーも手伝い始めると、ほんの数分で全ての物はバスケットの中に収まる。閉じた蓋の上に出来上がった二つ目の花冠を乗せたところで、完全に目が覚めたハンナがゲリーの背中に抱きついた。 「な、なんですか、ハンナ」 「おーんーぶっ!」 「はぁ……、まぁいいですけどね」 「げぼくはげぼくらしく!」 「うん……、だから、それ誰から習うんですかね」 腑に落ちないままゲリーは「これ被っててくださいね」ハンナの頭にギルド帽をかぶらせる。そうしておいて小さな彼女を背負い立ち上がれば、ハンナは嬉しそうに笑い 「すごくひくい!!」 「失礼な!普通です!みーくんが高すぎるの!」 「ちび!」 「ひとの話を聞く練習しなさい、あなたは!」 わあわあとじゃれあう大人と子供を見て、残された二人が同時に笑う。 「じゃあ、また」 「あぁ」 ミキはもう一度お辞儀をして、バスケットを手に先に歩き出したゲリー達を早足で追い―― 「あ、あの!!」 しかし踵を返して戻ってくる。 「お薬!いつお持ちしましょう!」 ぱたぱたと慌てた様子でメモ帳を取り出すミキ。ああ、そうだったなとクライヴは笑う。暫し考えた後、じっとミキを見つめ彼は言う。 「君はここへよく来るのか?」 求めた答えとは違うものに目を丸くし、しかし「はい、来ますよ」うんうんと頷いた。 「なら一週間後にこの場所に持ってきてほしい。良ければ他に良い品があるならそれも見たい」 「ここですか?」 「そう、君の知識は興味深い。薬の説明も他の薬師とは違い面白味があった。是非他の話も聞いてみたい」 「え、えっと、そんな大それたものじゃありませんよ、俺なんか半人前にもなってません」 「薬について何一つ知らない身からすれば、それで十分だ」 ミキは首を傾げ目をぱちぱちと瞬く。視線をしばらく地に寄せ、そして「分かりました」口角を微かに上げ答える。 「一週間後、この場所に傷薬10本をお届けします」 深々と頭を下げるミキ。ありがとう、とクライヴは微笑み、ふいにミキに右手を差し出した。薬屋はすぐに意図を知り、その手を同じく右手で握り 「よろしく」 「よろしくお願いします」 手を握り合い魔王と騎士は微笑みを交わす。 「では」 「またな」 微かに見えるか見えないかの距離になった二人をミキは追い、しかしまた足を止め戻ってくる。今度はクライヴを目を瞬き、ミキの様子を伺う。ミキは目を細めて笑った。 「あげる」 二つ目の花冠をクライヴの頭に乗せ、今度こそミキは二人の後を追った。残されたクライヴはその姿をきょとんとしたまま見つめ、「はははっ!」何かがどうにもおかしくて久方ぶりに心から楽しい気分を味わったのだった。 ぐるぐる回る幸せ ぐるぐる巡る定め 弱虫魔王は白の騎士と出会い 互いの絆をぐるりぐるり 自分の道をぐるりぐるり 互いの事も知りもしないのに ねぇ ゆらゆら木葉は何を知っているの ねぇ ひらひら策士は何を思っているの ねぇ 姫との愛の結末は? ねぇ 姫の心はどこの空? |
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